ぼんじんブログ

凡人の凡人による凡人のための日記

アイデアは移動距離に比例する

急性膵炎というものを患って、人生初の入院をしました。

入院はそれこそ一度はしてみたく、さぞかし誰にも邪魔されずに本は読めるし、テレビは見れるし、今ならネトフリだって見放題だし、なんて思っていました。

まぁその考えも2日間くらいで打ちのめされました。

逆にやることがそれしか無い。

 

運が悪く膵炎で炎症を起こしていたのか微熱が常にありました。

コロナというご時世もありPCR検査を受けなければ入院できないほどに規制が厳しく、面会も全くダメ売店に行くことも部屋を最初の数日は部屋を出ることも許されませんでした。

膵炎は点滴治療なので、最初の5日間はご飯も水もダメ

 

そうなると全てがベッドの上で完結してしまうので、やることは限られてしまいます。

朝起きてカーテンを開けるという行為すらも無いから、スマホでニュースをザッと見たあとはひたすらYouTubeや音声を聞くしかない。(朝からネトフリはやや重い)

いかに普段の部屋を移動することや、ルーティンにしていたことや何気ない日常が貴重な時間だったか身に沁みます。

自分はまだそれほど痛みも無く、献血だけであまり動きの制限もされてなかったので良かった方だと思います。

 

さらには退院という終わりが見えないと、さっぱりやる気が出なかったということ。

かろうじてインプットはたくさんしてましたが、アウトプットする気に全くなれなかった。

数日前にご飯が食べれるようになって退院が見えてきたときに、久しぶりにやる気が少し戻ってきました。

 

退院が見えてくるとこの生活も終わってしまうのかとちょっとしみじみしますが、久しぶりに思い切り外の空気を吸ってやろうと思います。

たまたま高城剛さんの「アイデアは移動距離に比例する」という言葉を聞きました。

やっぱりこの病室に閉じこもっていたり、いかにテレワークが進んだからといって同じ場所ばかりに居ても想像力は生まれないと実感しました。

散歩でも出張でも旅でも、移動出来るって素晴らしいですね。

 

「やりたい事」と「やりたくない事」

もう一週間も前になりますがこんな動画が回ってきました。名前しか知らずいわゆるYouTuberノリの人はあまり見てこなかったんですが、評判が良かったのでこの動画は見てみました。

https://youtu.be/gMLLNXh4XMI

 

結果めちゃくちゃ良かったです。エネルギーが凄まじかった。最初は人柄が分かる程度におちゃらけて今までの経緯を話していき、徐々感情的になって訴えかけてくる。感情的な部分も自身の体験からのもので説得力があるし、メッセージ性が強い。

 

一番響いたのは「やりたい事をやるっていうことは、やりたくない事をやらないって事ではない」というところでした。数年前にYouTubeで流行った「やりたい事で生きていく」というコピーの裏メッセージであります。

 

このコピーが流行ってから、こういった舞台にいる人は好きなことだけやって楽しそうにしていると思われがちです。しかし、その裏には血の滲むような努力があったはずです。やりたい事をやるってことはその全てを受け入れる覚悟を持つことだと思います。

 

あとはビジネスについて言及していること。37歳になってようやくビジネスの大切さに気がついた私にとっては「この世のほぼ99%はビジネスで成り立っている」という言葉は少なからず驚きました。おちゃらけたキャラの裏にはしっかりしたビジネススキルがあったはずです。資本主義社会で生きる限りそれはついて回る事で、それがあったからこそYouTuberとしてトップにまで登り詰めれたのだと思います。

 

逆にこれからの時代、表現者もこのビジネススキルを持っていないと生き残れない時代がくると思います。インターネットによってライバルが増え、ただ良い作品を作るだけじゃ誰もファンにはなってくれません。

 

DJ社長がそうだったように、時間をかけて積み重ねてきた今があるのは結局、小さな一歩の繰り返しなんだと感じました。なかなか良い刺激をもらえた動画でした。

初めての四国旅

ビジネスで成功している人の働きぷりはやっぱりすごかったという話。

 

自身の所属する会社でもある程度の成功を収め、様々な企業のコンサルなども行う二人の先輩方と働く機会を得ました。四国への出張撮影の案件でしたが、一人は面識があってなんでも出来ちゃうプロデューサータイプ。遊びも仕事も何でもこいの人。もう一人は制作畑出身だけど柔軟な頭の持ち主。初対面だったが、この時期にTシャツで現れて歩き方は北野武に似ている。

 

内容としては愛媛の宇和島から出ている、ローカル線と頑張ってる駅員さんを数カット撮影する案件。ローカル線で一日に数本しか走っていないのでポイントを絞って撮影するので一日に撮れる量が少ない。ロケハンも込みで2泊3日するが実際に回すのはほんの数秒といった感じ。

 

お二人も言っていたとおり、半分は遊び案件だなと思っていた。実際、宇和島に取っていたホテルを街が開けてなく遊べないからという理由で、松山に取りなおしたりしていた。初めてのお任せでのお寿司を食し、遊びに関しても本気であることが伺える。

 

そんな遊び半分案件であっても二人の取り組み方は全く違った。カメラマンは自分なのだが、少しでも良いカットを押さえようとiPhoneで撮るわ撮るわでほぼ同じかそれ以上回していた。実際ぱっと見は一眼レフに引けを取らない画質で、それを撮れ高としてクライアントに見せて安心してもらうんだという。あとから聞いたらそれで覚えてもらえる確率も上がるという。

 

抜け目ないというか妥協を知らない人達だった。電車が走っているカットは似てしまい、数カット収めてある程度クオリティの高いものだと思ったら自分なら撮影を切り上げてしまいそうなところ。しかし帰りの飛行機を遅らせてまで最後のカットを撮る執念には脱帽しました。

 

それも決してクライアントを満足させるということだけでもなく、目の前の課題に全力で取り組む姿勢だったり、それを楽しみながらやっている雰囲気はとても刺激になりました。

 

そして二人とも50を手前にしているみたいですが、かなりタフ。そこは真似できないけど、色々と勉強させてもらった旅でした。

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ライバルでなき友よさらば

少し前の話になるが、会社のメンバーとキャンプに行った。お互い家族連れで思えばこんな付き合いになるほど背負っているものがあるんだなぁと実感していた。

 

家族が寝静まった頃、男たちは焚き火を囲みながらまったりする。これがキャンプの醍醐味だ。話すのはやはり仕事のこと。

 

こういうところまで来て仕事の話をするのは違うだろうという人も居るし、キャンプに来ている時くらいは仕事の話は忘れたいという人もいるだろう。

 

でも自分の場合は仕事の話以外することがないのだ。趣味が仕事になれば良いと思っているし、それをどう仕事や表現に繋げるかを考えているので、その趣味が合わない人とは話が出来なくなってしまった。

 

エレファントカシマシの「季節はずれの男」という曲の中に「ライバルでなき友よさらば」という歌詞があった。この言葉がいまだに突き刺さっている。というか徐々にえぐみを増している。

 

やっぱり今より少し未来の話をしたいし、何をしたら楽しいかを話す方が楽しい。キャンプすら仕事に繋がらないか考える。

 

WOW WAR TONIGHT」みたいな「たまにはこうして飲んで」みたいな飲み会も1年に1回位なら良いけど、そんなに立ち止まってばかりもいられない。

 

仕事仲間とキャンプに行けることを誇りに思う。みなさんは友達とどんな話をしてますか?

自分で情報を取りに行く

ブログの更新がかなり滞ってしまっていました。それはなぜかというと、コロナのことを調べていたから。こういう問題を発信するのは責任が伴うし、下手なことは言えない。色々調べて事実を取りにいくという作業にも時間がかかったし、それをまとめるのにも時間がかかりました。なんせ初めてのことなんで凡人には分からないことだらけでした。

 

ではなぜこんな発信をしようかと思いったのかというと、ちょっと前に仕事の関係で会食をしてその流れでパブに行ったことが原因でした。そこでまあカラオケなどを少し歌ったんですが、その写真を妻に見られました。女性のお店に行くというやましさはうちら夫婦には全く無く、「このコロナのご時世になんでこんなお店に行くんだ!」と多少口論になりました。

 

まあカラオケに行くのは賛否両論あると思いますが、コロナも収まりを見せている中で未だに過剰に煽るメディアもどうかと思います。自分で情報を取りに行かないと自分に都合の良い解釈しかできなくなってしまう。前を見ていたと思っていてもじわりじわりとちょっとづつ方向を変えられている。

 

かと言って自分も体系立ててコロナを考えたこともなかったので、自分の信頼している情報は実際はどれほどの有用性があるのか確認してみたいと思って調べていたらなかなか纏まらなかったということです。

 

まずPCR検査というものはDNAの特定領域を数億倍にも増やすやり方で行われます。そこでウィルスにしかない遺伝子配列が見つかればコロナの陽性ということになります。ただPCR検査はウィルスの断片を増幅させて存在を確認する方法なので、例えば2ヶ月後でも陽性反応が出るらしく、そこに居たことは分かるけど今そこに存在していることの証明にはならないそうです。なので陽性反応が出たからといって、必ずしも感染性があるわけではないということです。

 

コロナウィルス感染者とPCR検査陽性者は違います。 | 寿晃整骨院・寿晃鍼灸院

 

さらに連日コロナによる累計死者数を発表して不安を煽っています。11月2日現在でコロナによる死者数は1173人です。一方自殺で命を落とす人の数は2020年9月までで14974人もいます。こんなに連日報道して不安を煽っているコロナの死者数は、ほとんど報道されない自殺者の1/10以下ということになります。私たちが本当に目を向けなければいけないのはどちらでしょうか?

 

コロナへの対策を怠るなということではありません。もちろん日本人の真面目さや几帳面さから第2波を大きくさせる事なく抑えていることは素晴らしいことだと思います。しかしあまりに過剰にアルコール除菌をしすぎて、子供たちが将来菌に対する免疫を持たないまま育ってしまう未来も恐ろしいものがあります。

 

まずは知るところからだと思います。なんとなく得るテレビやWEBの情報を鵜呑みにせず、自分で調べてみること。なんでこんなにもメディアが煽るのかは分かりません。一番怖いのは思考停止に陥って、これが全てだと信じてしまうことです。普段の暮らしを疑ってみるのも大事かもしれません。

「なんでもない日」と「二十四節気」

雨が続きすっかり寒くなってきました。コロナに対する認識も徐々に薄れてきて、慌ただしい毎日が戻ってきつつあります。私凡人も最近は仕事に追われ日々があっという間に過ぎていきます。

 

そんな中でもやっぱり季節を感じる余裕だけは持ちたい。ちょっと立ち止まってそこに意識的にも目を向けていたいと思います。

 

今では日本も新暦(グレゴレオ暦)が広く使われていますが、これはローマのカトリック教会で中世に作られた暦です。地球が太陽を一周するのを1年とし、一週間を7日間のリズムで分けたものになります。

 

しかし少し前の日本では旧暦(太陰太陽暦)が使われていました。これは太陽と月のめぐりを元に作られた暦で、日本の風土に合った自然とともにある暦であると言えます。この自然とともにある暮らし方の方が自分にはしっくり来るし、魅力的でもあります。

 

季節を太陽の動きで表したもの-太陽の周りを公転する360°を24等分した15°ずつ、15日ごと-を二十四節気といい、その位置から季節の指標にしたといいます。春分夏至などがこれに当たります。

 

そして今日、10月18日がどんな日かというと晩秋となり台風も収まってくる頃だといいます。創作意欲や食欲がもっとも高まるところ。そしてその中でも寒露(10月8日頃から)に当たるそうで、露が霜に変わる直前の大気の安定して秋が深まる時期だそうです。

 

最近は雨が多いですが、空気が澄んで秋晴れが多くなるみたいです。今日は日曜で休みなので秋晴れをみたいものです。こんななんでも無い日に立ち止まって季節を感じることを少しでもやっていけたらと思います。

最近「フロー」と「ストック」についての知識が付いているのもこの本がかなり参考になっています。鎌倉投信という投資信託会社の創業者の方が書かれた本なのですが、お金について勉強し始めの自分にとって、すごく価値のある本だったので紹介してみようと思います。

 

持続可能な資本主義

持続可能な資本主義

 

 

投資したものに対して「リターン=お金」となってしまったのが現代の資本主義だということです。そこで短期的な利益を追求しすぎてしまって資本主義は行き詰まってしまった。鎌倉投信はそこを見直していきます。

 

まず良い会社とは何かと言うことが語られています。それは「見えざる資産」を持っているということ。社風や理念や社員のやりがいなどが見えざる資産と言えます。お金などとは違い客観的に数値化出来ないことに価値があるということです。

 

 

投資の世界ではレバレッジをかける」ということばがあります。レバレッジ=てこのことで、てこの原理のように実態以上の力を出すことをいいます。それが本来ならお金にレバレッジをかけるのですが、鎌倉投信「信頼」レバレッジをかけるということをしています。

 

 

稼げるか稼げないかを見る数値だけではない繋がりが重要になっているんだと思います。

 

今までの経済成長には人口増加が前提でした。しかし今の日本は少子高齢化がすすみ、人口は頭打ちです。それなら他国と競って経済成長を無理にしなくても良いんじゃないかとも言われています。

 

新しいものを追い求めて地球の資源を使い果たす「消費型」の暮らしを送るのではなく、リノベーションのように今あるものに手を加えて大切にしていく「循環型」の暮らしが求められています。

 

そこの意識をすこし変えるだけで生活も変わってくる気がします。自分の会社でも目先の利益だけにとらわれずに意義のある仕事をしていかなきゃいけないと思いました。